10月2日、日曜日も里山の片付け。
午前中片づけをして、
午後からは8年半付き合った里山オーナー仲間と
多大なお世話をいただいたマスターTさんご夫婦とが集まっての
ささやかなお別れ会食となった。
さてさて、まずは前日やり残した片付けの続きである。
運び残したシイタケのほだ木を車に積むべく
台車をお供に、山に入る我々。
途中で、しつこく栗の木の様子をさぐる夫。
前日、食べきれないほど拾ったというのに・・・・・!
でも、ここで落ちてたら、やっぱり拾わずにはおれませんよね。誰だって。
幸いというか、残念ながらというか
さすがに、この日は1個も落ちていなかったけれども。
そしてほだ木を運び出した後は
そう、
これの収穫である。
ウコン!
土地が合ったのか、葉っぱは盛大に伸びてくれたこれを
ちょっと早いんだけどな・・・・・
と思いつつ、掘り上げてみれば
・・・・・・・・・・・・・・・あれ?
根っこが太るのはこれからだったかな?
というサイズのウコンが出てきた。
まあ、それでもゼロでは無し、良しとしよう。
前日の土曜日に頑張って働いていたので、この日はあまり作業することは無し。
なので、
まぁ、ちょっと記念に・・・・・
と、
自分達の区画を写真に収めてまわった。
が、
困ったことに、ここで私の頭の中には
Rolling Stonesの曲「Hand Of Fate」の一節
♪Good-by baby,
so long now.
が流れ出し、これがしつこく繰り返される。
ちょっとーーーーー!
そりゃ、これは別れのシーンを歌った一節だが、
これは、
ほれた女に暴力をふるう彼女の夫を撃ち殺してしまった主人公が
ああこりゃ、やばい、もうこの町にはいられない
と町を出て逃亡する際、
ほれた女に言うんだか、心の中で語りかけるんだか、
とにかく
そういうシーンを歌っている部分なのだ。
あああああ、
この風景に似合わないことはなはだしいったら・・・・・。
でも、仕方が無い。
頭の中で流れる曲の、スイッチは切れませんものね。
♪Good-by baby,
so long now.
と私も心の中で歌いながらシャッターを押してまわった。
義弟が杉の間伐材で作ってくれたベンチ。
いずれ土にかえることでしょう。
運び出せなかった、太いほだ木。草にうずもれちゃっているけど
これも、数年すれば山の木々を養う、良い肥料となすはず。
真ん中あたりに写っているのは、栗の苗木とイチョウの苗木。
もう草刈りしてやれないけど、どうかな、負けずに育って行くかな?
夫の右側に写っているのは、杉の木達。
マスターTさんが7年ほど前に
50センチばかりの苗木で植えられたものだが
今では、すっかりこのとおり。6メートルはあるかな。
さて、午後からは、前述したとおり
ささやかな昼食会が開かれた。
じめじめすることなく
皆、サッパリした様子で8年半の思い出話などを楽しむ。
色々思い出すにつけ、私にとっては
「きつかったなーーーーー!」
ということの方が、正直、多かった里山活動。
中でも、新しい会員を募るべくやった
<山の測量>は
個人史に残る作業だった。
これも、今となっては面白おかしい思い出のひとつなのだが。
ただ、
苦しい分だけ、
いや、それ以上の楽しさを与えてくれる里山活動ではあったけれども
このまま、夫と二人で里山の手入れをただただ続けていていいのかな?
という疑問が、
去年の終り頃から、少しずつ湧き上がってきていた私だった。
8年ほどやってきて
大体、年間にするべきことは決まってきている。
これから先も、それらをただルーティン・ワークとしてこなしていってて
いいのだろうか・・・・・?
もちろん、
これが自分の持ち山ならそれで良いのである。
毎年同じ手入れをきちんきちんと続けることこそ
一番大切なことだ。
でも、
お借りした山で、
いつ自分達の都合で放り出すことになるかわからない無責任な立場のまま
自分達の楽しみのためだけに
このままズルズルとこれを続けて行って、いいものなのだろうか?
そろそろ次への展開、発展を考えなくていいのかな?
ここで学んだことを
社会に還元するとか、考えなくていいのかな?
そんな疑問が沸きつつあったところだったのだ。
潮時なのかもしれない。
ややこしいことが多いだろうけど、先へ行く時なのかもしれない。
里山の契約終了を言われた時
そんなことを思った、私だった。
5月から10月終りまでの里山は
暑くて、蒸し蒸ししていて、
草ボーボーで、
蚊が出て、スズメバチが出て、マムシが這っててとにかく危険で
居てもちっとも楽しくない、
地獄のような所だった。
静かで落ち着いた冬の里山が、だから私は大好きだ。
でも、
実際に一番好きなシーンを選べといわれたら
やはり、
真夏の、大汗かいてやった草刈り直後の、この光景を選ぶ。
Good-by,
so long now.