誰しも世の中に、苦手な生きものの、ひとつやふたつは、あるはず。
私の苦手は、カ◎ル。
特に、アマガ◎ルが、ひじょ~~うに苦手だ。
どれくらい苦手かと言うと
歩いていて、道の前方にアマガ◎ルが座っているのを発見したらば
もう、1メートルくらいは迂回しないと、前へは進めない。
もし、1メートルも除ける道幅が無い場合は
息を止めて、ターーッと脇を走り抜ける。
もちろん、
息をしててもいいんだけど(アマガ◎ルが毒を出すわけじゃなし)
しかし、
恐いと人間、緊張で息が出来なくなるもの。
それで、息を詰めてターーーッと。
他のカ◎ル、
例えばトノサマガ◎ルとかヒキガ◎ルとかは、ここまでは恐くない。
アマガ◎ルだけが、格別に恐ろしく
何故かと言えば、
幼少の頃、
飼っていた可愛い猫が、かのカ◎ルをパックンと食べてしまうのを
すぐ目の前で見てしまったため。
恐かった。
以来、猫が恐くなる・・・・・
のならわかるのだけれども、
どういうわけだか、アマガ◎ルの方が恐くなってしまい
アマガ◎ル的には、迷惑千万な話だとは思うものの・・・
でも、
もう、こういう<恐怖の刷り込み>は、理屈ではありません!
感覚的に、恐いものは恐いのだ!
さて
そんな、アマガ◎ル嫌いの私が、里山へ通うようになって3年半。
通い始めて、すぐにわかったことは
<ここはアマガエルの宝庫だ>
と言うことだった。
とにかく、居る。
やたらめったら、居る。
トノサマやヒキの姿は滅多に見ないけれども
山の中と、畑に行けば、
あのカ◎ルが、売りに行きたくなるほど、あっちゃこっちゃに。
どうやら、生息域が、私の行動範囲と、ばっちりシンクロするらしく
例えば、山の手入れにと山へ入れば、竹の切り株の中に↓

畑の世話をと畑へ行けば、オクラの花の中に↓

ウコンの葉の上に↓
・・・恐ろしいもので、こうなってくると、人間、慣れてくるものである。
以前は、そばにアマガ◎ルが居るのを発見しただけで、飛びのいていたものが
やがて、畑でシソの葉を摘んでいる際
シソの茂みの中に、アマガ◎ルが鎮座ましましているのに気がついても
「あら」
ですむようになってくる。
が
それでも、
手でつかむことは、なかなか出来なかった・・・。
それが、
ついに、この夏のこと。
暑いさなか、山で草刈りをしていた時のことだった。
地面に置いた私のリュックの上に、アマガ◎ルがピョンと飛び乗ったのである。
草刈りをすれば、アマガ◎ルがチョコチョコと逃げ回るのは毎度のことだけれど
でも、
リュックに乗られて、そのまま連れて帰ることになるのはイヤだ。
なので
「これこれ、いかんよ~」
と言いつつ、
気がついたら私は、
アマガ◎ルをつかんで、ピョイとそばへ放っていた。
ハッ我に返り・・・・・
思わず、少女漫画ファンなら誰でも知っている
大島弓子さんのかの名作<綿の国星>のクライマックス、
猫アレルギーのお母さんが、
ついにチビネコを抱いて、パタパタと涙を流し
「神さま・・・・・・・感謝します!」と言うシーンを思い浮かべたのだけれども
ホント、
「や、やりました。神サマ・・・!」
と言う心境。
惜しいかな、お母さんは手袋を脱いでチビネコを触っていたけれども
私は、皮の作業手袋をしたまま。
逆に、手袋をしていたからこそ、触れたんだろうけれども・・・。
いや、それでも、すごい進歩と言うか、慣れだ
と思った。
人間って、本当に慣れる生きものなんだなぁ
と、しみじみ思った、あの時。
と言うことは・・・
先日、我がシークワーサーの木に取り付いていた、こやつ。↓

・・・実を言うと、情けないかな、私はこれをつかんでポイすることが出来ず
夫に頼んで捨ててもらったのだけれども
(つかんだ時の手の感触を想像すると、手が震えて震えて)
でも、
これだって、しょっちゅう見て慣れてくれば、
やがては素手で、むんずとつかんで・・・・・
出来るようになるんでしょうね?
きっと??