私が小学生の時
小学校の教室の後ろには、日本史の年表が
理科室には、科学の発明・発見の年表が貼られてあった。
今でも覚えているけれども
理科室の年表には「エジゾン」とか「コッホ」とか「野口英世」とかの名前と業績が
似顔絵入りで、ズラズラズラと書かれてあった。
そんな中、
年表の最後の方(つまり新しい年代の方)に
「湯川秀樹」という名前があって、<ノーベル賞>と書かれてあったのを
今も思い出す。
私が小学校に上がった頃
朝永振一郎博士も、すでにノーベル賞を受賞されていたけれども
年表に載っていたのかどうかは・・・・・・・・・・
思い出せない。
思い出せないってことは、多分、載っていなかったのでしょう。
きっと、年表が、ちょっと古かったんでしょうね。
そんなわけで、私が小学校の頃
理科室の年表に載る<日本人ノーベル賞受賞者>というのは
一人しかいなくて
それも、私が生まれる前の受賞だから、
湯川博士も、「エジソン」や「コッホ」と同じ<歴史上の人物>
としか私には思えなかったのだけれども
その後、
どんどんどんどん理科室の年表に載りそうな、日本人科学者が
いっぱい増えてきて・・・・・。
今頃の、小学校の<理科年表>ってどんななんでしょうね?
日本人ノーベル賞受賞者は、やっぱり全部載せなきゃならないから
反動で「外国の歴史上の科学者」が、載らなくなっているのかな?
それとも、
これだけ日本人受賞者が増えたら、全部は載せてられねーー
と、間引きされてしまうのかしら。
そんな風に
この30年で、野菜の芽のように、ゾクゾクと科学界の偉人が登場して
年表が、発芽期のプランターのようにギュウギュウ詰めになってしまうなんて
いや、子供の頃には想像も出来なかった。
素晴らしいことです。
嬉しいことです!
ところで、あらためて調べてみたら、湯川博士の受賞は、1949年。
太平洋戦争終了後、たったの4年後のことだった
というのに、今さらながら驚かされました。
何もかも無くした敗戦から、一所懸命立ち上がろうとしていた人達を、
どれほど、この受賞が、勇気付けたか、明るくしたか
想像しても、
きっと私には想像しきれていないでしょう。
でも、昨日と一昨日の4博士の受賞は
リアルに、私の心を、ポッと明るくしてくれました。
世界経済は大混乱をきたし
世界恐慌が再来するのではないか?
なんて言う人もいる、今。
世界恐慌なんて、私は歴史の本でしか知らない。
ものすごく不安です。
経済が悪くなれば、世界規模の戦争だって起こるかもしれない・・・・・
と、つい悪い方に悪い方に、考えは向いてしまうし・・・・・。
そんな中で
受賞のニュースを見て。
博士達の研究室の、若い学生さん達が、ものすごく嬉しそうで
「自分もいつかは」
なんて、大きな夢、志を語っていた。(←ノーベル賞だから、最高の志ですね)
あれに、胸打たれました。
すごく、私まで嬉しくなった。
つくづく、こういう喜びは、人を支えます。世界を支えます。
と言うわけで、
今、我が家のベランダで我が家を支えてくれる喜びは
前回、ブログに書いた、
やたらめったら勢いの良いロマネスコ。
それから、
これです。↓
何かといえば、7月に発芽したポポー。
7月に発芽した直後は、こんなだったんですが↓
夏を越して、やっと「ちっちゃい苗木」と呼べるくらいになりました。
木の成長って、まぁ、ゆっくりですねーー。
5月に種をポットに蒔き
7月に発芽したポポー。
3個のポットのうち、3個とも発芽はしたのですが、
あとの2個は、結局、種の外皮が上手く頭から離れず
育つことが出来ませんでした。
なにしろ、ポポーの種ってこんなです。外皮も頑丈そうですから。
その後、「じゃあ、7月の、この気温なら発芽しやすいのかな?」
と、追加で種蒔きしてみたのですが
それは結局、いまだ、発芽せず。
種を下さったsakkoさんのブログによれば
夏の終わりに実が熟すポポー。
自然のままなら、その頃、熟した実が地面に落ち、大地に種が残り
秋、冬を越して発芽する
ということになるのでしょう。
ならば、
冬が終わって、春になり、
夏に向かって気温が日増しに高くなって行く・・・・・
という信号が、種を目覚めさせるのかな。
なので、今、ポットに埋まっているポポーの種、
来年の初夏には、ポコポコと顔を出す・・・・・・・・・・かな?
と、来年の楽しみが、ひとつ増えました。
無事、発芽して
私を支えてくれる喜びとなりますように。
どうか<ぬか喜び>(←菜園をやってるとよくある)となりませんように~~~~~!