沖縄の旅は、毎度のことながら、まず糸満市の平和祈念公園での慰霊から。
ここまで大快晴なのは何年ぶりのことか
と思うくらいにお天気に恵まれた、今年の平和祈念公園。
しかも、なんだかものすごくスッキリと綺麗であった。
全国から慰霊や観光に人が来る場所なので
いつ行っても掃除は行き届いているのだけれども
今年は、いつにも増してスキーーーーーーッと片付いている感じ。
「??????」
と疑問符をしばらく飛ばしていて、気がついた。
我々が沖縄へ行く数日前に、天皇・皇后が沖縄を訪問していたっけ。
それでチリひとつ無いのだな。
ともあれ、一年ぶりに祖父と大叔父の慰霊をして
気持ちも落ち着き、
その後、
一路レンタカーで沖縄本島北部のやんばるへ向かった我々。
今回は、やんばるの東村(ひがしそん)、慶佐次(げさし)という場所に
4泊するのである。
地元で食材を買って自炊しながら旅をするのが好きなので
やんばる地方で、キッチンのある宿泊施設を探していたところ
ネットで、大変に感じが良く
かつ、とてもありがたいお値段(一泊一人4000円なり!)の貸し別荘を
発見したのである。
と言うわけで、本島を北へ北へと向かった我々。
が、
南部にいる間は気がつかなかったのだが
北部に着いたとたん
9月に沖縄を襲った大変な台風の爪あとにガクゼンとすることになる。
これは北部、大宜味村の、海岸沿いの山である。
11月下旬。
広葉樹が落葉し始める内地ならば、こういう色合いの風景は珍しくないだろう。
でも、ここは沖縄本島。
落葉広葉樹は無い。
・・・・・・にもかかわらず、茶色くなった山の木々。
9月の猛烈な台風の塩害で、枯れてしまったよう。
恐ろしいのは、海岸のすぐそばの山だけでなく
奥まった山々まで枯れ木の山となっていたこと。
やんばるでこんな風景、見たことが無い。
常緑樹の緑に、一年中包まれた場所だったのに。
山々に叩きつける猛烈な波は、とくに島の西側でひどかったようで
こんな枯れた山々が、名護市から国頭村まで
島の西海岸沿いに延々と連なっていたのであった。
高速道路を走ったので、本島中部の様子は見ていないのだが
読谷村や恩納村の海岸沿いも、
同様の塩害を受けているのだろうか・・・・・・。
そして
貸し別荘のある東海岸は、西ほどの被害は無かったように見えるのだが
鍵を受け取りに行った際、オーナーにうかがったところでは
こののどかな慶佐次の集落も、海のそばの低い土地では
高潮で人の首のところまで浸水したのだそう。
「あんなの、生まれて初めて」
とオーナー。
オーナーは観光農園の経営者でもあるのだが
その農園も、ビニールハウスはすべて壊れ
ゴーヤもパパイアも全滅。
ハウスを建て直して、
先日やっと新しいゴーヤの苗を植え終わったところだそうだった。
本来、この旅行は9月の後半にするはずだったもの。
夫の仕事の都合でドタキャンになったのだが
その時やって来たのが、この台風で
我々は
「ああ、ドタキャンになって良かったのう」
なんて言いあっていたのだ。
それが、現地ではこんなことになっていたとは・・・・・・。
貸し別荘の近くには、ウッパマと呼ばれるとても綺麗な浜辺があるのだが
そこに生える防風林は、枝が折れ、枯れ果てて無残な姿に・・・・・・。
それでも、近づいてみれば
枯れた枝の間から、新しい葉も伸びだして来ている。
いつかやんばるの山々も、緑に戻っていくのだろう。
昔から、そうやって大きな台風を乗り越えて来た島なのだと思う。
さて、
くだんの貸し別荘は、このようなところである。
1階と2階で、2世帯住宅となっており
1階部分が貸し間。
2階にはここの管理人をされている、オーナーの親族が暮らしている。
玄関も生活スペースも、もちろん、完全に別。
ネットのホームページで写真は見ていたけど
とにかく広かった。
12畳の寝室があり
同じく12畳の和室があり、6畳ほどの寝室がさらにふたつあり、
広いリビング(我々が暮らしているうちに散らかっちゃいましたが)
キッチン、
加えてバス、トイレ。
目の前は慶佐次の海。
まぁ、ここで4泊5日、好きに暮らせるわけである。
ひたすらゴロ寝して暮らしてもいいのだが
せっかくの一軒家。
ならば、これを練習するしかあるまい。
と、私は、これをかついで飛行機に乗ってやって来たわけである。
マンション暮らしのため、日ごろは「消音うま」と呼ばれる
消音装置をつけて練習している三線(さんしん)だ。
たまには、ちゃんとした「うま」を付けて弾きたい!!!!!!
・・・・・・・・・・・・とはいえ
そこまで言えるほどの腕は、まるっきり無い私である。
三線だって、ビギナー向けの安物。
胴に張られているのはニシキヘビの皮ではなく、
ニシキヘビ柄プリントの人工皮革。
三線屋のお兄ちゃんが
「まったくの初心者なら、最初は人口皮革のもので十分だと思います。
やってみて、三線が好きになって続けられるようなら、
段々と値段の良いものに買い換えていけばいいんですよ」
と、しごくまっとうな助言をしてくれたので、これを買ったのだが
正直、
この安い三線をかついで沖縄行きの飛行機に乗るのって
かなり恥ずかしかったですよーーーーーー。
まぁでも、
ジェフ・ベックだってキース・リチャーズだって
インタビューを読むと、
子供時代に最初に手に入れたギターは
中古のボロボロの、弦もろくに残っていないような
「そりゃひでぇギターだった」
そうである。
世界的なギタリストにしてそれなのだからして、
私の初三線が、ニシキヘビのプリント柄だからと言って
何を恥ずかしがることがあるであろうか。
というわけで、毎朝「ひでえ音」(これは私の腕前のせい)で
三線の練習をしていた、慶佐次の日々だった。
しかし、なんでだ?
私は、中学生の時からのロックファンなのである。
だったら
三線で「めでたい節」や「豊年音頭」が弾けるより
エレクトリックギターで「Brown Sugar」が弾ける自分を
目指すべきではないのか??????
おっかしいなぁ。なんでこうなっちゃったのさ。
でも仕方ない。
夫が勢いで三線を買っちゃって家に三線があるんだから
練習しないと損
と言うものでしょう。
かくして
さぞや夫は、ひでえ三線の音に苦しめられた日々だったことと思いますが
ワタクシ自身は、
三線を弾いたり
本を読んだり
食材を買いに名護市まで出かけたりしつつ
のどかに過ごした5日間。
アーサーとトマトのパスタとか(一ヵ月半ぶりくらいにトマトを食べた!)
アグー豚のソーセージとカラシ菜のパスタとか。
ただ、
名護市のJA産直市場で、おもに食材を買って作っていたけれども
あの台風の影響で、
この産直市場の様子も、いつもとは違っていたのだった。
その話は、また別の機会に。